制作について

映像インスタレーション、オブジェ、ドローイング等、技法や素材を横断する美術家として活動しています。

映像インスタレーションは近年多く発表しており、数十メートルの大型映像インスタレーションから手にとることができるほど小さい映像インスタレーションまで制作しています。大型の作品では砂の上に海の映像を投影し、作品の上を自由に歩いて体験できるものや、本物の雪の上に様々な冬の現象を投影し、冷たさを体験できるものがあり、小型の作品では標本箱のフォーマットを使い、箱の中の蝶がコレクションできずに飛び立ってしまうという、鑑賞者がある種の裏切りを体験する作品などがあります。繊細なオブジェによって構成される刺々しいインスタレーションや、鏡の上に描かれ、見ようとすればするほど絵ではなく自分が見えてしまう錯視的な平面作品も制作してきました。

私は常に体験から引き起こされるイマジネーションと身体性の関係を主題にしています。人は目や耳や体中の感覚を使って体験し、それを感じ、味わい、それが何であったか記憶に刻みこむます。厳密に言えば何かを体験をする前と後では、私たちの知覚する世界は異なっているはずです。花が咲いた、風の匂いを感じた、月が冴えている、大切な人の笑顔が美しい、本当はそれだけのことで、世界は変わります。縄文時代から日本にあるアニミズムは自然の変化や人の感情の変化がおこす現象に神を見いだしてきました。私の作品ではときにこれらのアニミズムをモチーフとして使っています。日本の古いアニミズムの儀礼や逸話には、イマジネーションの世界を丁寧に体感し、世界を知覚し直すというプロセスが含まれている、と感じているからです。

今日私達は新しいテクノロジーに次から次へと囲まれ、世界を知覚する感覚に鈍感になっているように思えます。テクノロジーを否定しているのではありません。私は知覚が鈍感になることが怖いのです。世界は人の数以上に知覚の数だけ無限にある筈。それを感じることができるとき、人は多様性に喜びを見いだすことができるでしょう。
私達は今、世界が刷新することに驚きやよろこびや畏れを感じられているでしょうか?